今や誰もが知る国民的カジュアル衣料ブランド「ユニクロ」。「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」という企業理念のもとアジア、アメリカ、ヨーロッパへなどへも展開し、現在売上規模3兆円を超えるグローバルブランドへと成長しました。そして、環境負荷が高いとされるアパレル業界にありながら、持続可能な社会の実現を目指し、いまやサステナビリティにおいても世界で注目されるリーダーシップを発揮しています。 しかし、ユニクロがかつて山口県に本社のあるチェーンストアだった、ということを記憶している人は多くありません。1999年から2024年までの25年間で、地方のチェーンストアから3兆円超のグローバル企業に急成長した、その秘訣は何なのか。 北沢みさ(きたざわ みさ)は、ユニクロが山口県のチェーンストアから全国ブランドに転じようとするタイミングでファーストリテイリング社に入社。初代PRマネージャーとしてブランディングを担当し、誰も知らなかったユニクロを、1年間で認知度90%超の国民的ブランドへと押し上げました。カリスマ経営者 柳井正氏をはじめとする経営陣の側で、ユニクロの成長を支えてきた“当事者”だからこそ語れる、ユニクロの哲学、成長の裏側、そしてサステナビリティへの取り組み——。これからの企業の在り方を考える上で必見のコンテンツです。
ユニクロ初代PRマネージャー
MK Commerce&Communication代表
株式会社 術 マーケティングディレクター
いまでは誰もが知るブランドとなり、就職先としても人気企業となったユニクロですが、私が入社した1999年6月はまだ人事部も広報部も法務部もない、採用したくても人が来ないような地方の無名のチェーンストアでした。ただ、柳井正社長だけは、その当時から「世界に出ていく」と公言し、そして、それを数年のうちに実現していったのです。その脅威の成長の秘訣は何なのか?低迷期をどうやって乗り越えたのか?ほかの企業と一体何が違うのか?他の企業の学びとなるようなことを、そこにいた者だけが知るエピソードを交えてビビッドにお伝えします。
北沢みさは、ユニクロが全国区ブランドへと成長する黎明期において、初代PRマネージャーとしてメディア戦略やブランド構築を主導しました。講演では、柳井正氏とのやりとりや急成長・低迷・再成長という激動の軌跡、現場での意思決定やPR戦略のリアルをお話しします。ユニクロの成長の軌跡を伝え、経営戦略・組織変革・ブランド構築・SDGSなどを学べます。
現在では誰もが知るブランドとなったユニクロ。しかし、北沢氏が入社した当時は、山口県の一企業で、これから全国区へ進出しようというタイミングでした。その黎明期、社内ではどのような出来事が起きていたのでしょうか。柳井正社長をはじめとした経営陣を間近で見てきた北沢氏の経験をもとに、急成長から、ブーム後の低迷期を経て、V字回復を達成するまでのユニクロ成長の軌跡をお伝えします。
1999年誰も知らなかった地方のカジュアルチェーン店が、突然始めたブランディングキャンペーン。ユニクロのTVCMや新聞広告は、その年の日本の広告賞を総ナメにしました。まだSNSもなかった時代、たった1クールでブランド認知度を10%から80%まで上げ、売上を1100億円⇒2200億円⇒4200億円と倍々で増やしていったブランディングの方法とは?柳井社長の哲学と共に解き明かします。
ユニクロが、世界のサステナビリティ先進企業のひとつとなっていることを知っていますか?それにより海外でのブランドのプレゼンスも上げています。グローバスのビジネスにおいて、いまやサステナビリティは外せないテーマです。「サステナビリティ」「SDGs」と言っても何をしたらいいかわからないと悩んでいる企業の経営者や担当者に向けて、ユニクロの多様なサステナビリティ活動についてお話しします。
今では3兆円規模に成長したユニクロも、ずっと順風満帆だったわけではありません。ブームの後、反動で起きた「ユニクロ離れ」。売り上げは1年で500億円ずつ減っていきました。急にブームになったブランドは、一瞬で消え去ってしまうのか?このままユニクロがなくなってしまうのではないか?そんな焦りと不安の中で、社内ではどんなことに取り組んでいたのか。 低迷期から再び成長軌道に乗せるまでの数々のチャレンジを、当事者の一人としてリアルにお伝えします。
ユニクロが2010年にグループ会社リンク・セオリー・ジャパンと共同開発したブランドPLST。ECとリアル店舗の相乗効果により、8年間で200億円のブランドに成長しました。まったくバックグラウンドの違う二つの会社が共同で事業開発していく難しさの中で、ブランド認知度も広告費もない小さな事業が、どうやって成長できたのか。そのプロセスを、中小企業の共通の悩みに対する一つのケーススタディとしてご紹介します。